先日の『東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ日本代表対Jリーグ選抜』の中継では、監督や選手たちのメッセージが伝えられました。
彼等は、ひとつひとつ言葉を選び、丁寧な言い回しで被災した皆さんに想いを伝えていました。
聞き逃したかもしれませんが、その言葉に「頑張って!」とか「頑張れ!」、「頑張ろう!」はなかったと思います。
彼等は、昨年のW杯南アフリカ大会に備えた調整期間などで、日本中からの「頑張れ!」という声援で痛んだ経験から、あえてその言葉を避けたかったのだろうと思います。
ところが被災地を励ましているテレビ番組やCMからは、容赦なく「頑張れ!」の言葉が浴びせられています。
でも震災で家族や財産を失った悲しみと絶望のどん底にいる人たちに「頑張れ!」は酷ではないだろうか?
その言葉に悪意はないのだけれども、なにか尖った言葉に聞こえてしまいます。
私も、ある日突然に子どもを失った経験があります。
肉親を失った悲しみのどん底のとき、
叱咤激励なんかいりませんでした。
何もいりません。
どれほど悲しく苦しいか分かってくれて、
黙ってそばに寄り添って一緒に泣いてくれればいい・・・って感じ。
悲しみの共有、共感があればいいと思います。
今は、それだけでいいと思います。
軽々しい「頑張れ!」は、「悲しみを乗り越えろ!」という叱咤激励にしか聞こえません。
鬱の人に「頑張れ!」は禁句と言います。
うつ病の人にに「頑張れ!」が禁句とされています。
頑張りたくても頑張れないから苦しんでいるのに、そこに「頑張れ!」と言う更に追い詰めてしまうと言われています。
同じようなことが被災者への「頑張れ!」にも当てはまるのではないでしょうか。
東北関東大震災から3週間経ったにもかかわらず、瓦礫の撤去どころかご遺体が見つからない、収容できないという状況です。
そんなに慌てて頑張り始めなければならないのか?
それこそ屍を乗り越えるように気力を振り絞らなければならないのでしょうか?
人それぞれだけど、そんなに頑張らなくても、頑張らせなくてもいいと思います。
今すぐにでも頑張るべきは国ではないだろうか?
市町村や県の多くも被災者なのだから、国に頑張ってもらわなければならないのだけど・・・
あの幼稚園内閣じゃぁ頼りなさ過ぎるので、被災していない地域に暮らしている私たちが頑張らなければなりません。
被災地に向けて「頑張れ!」じゃなくて、
被災していない私たちが「頑張る!」から、
「泣けるだけ泣いていてください!」でいいんじゃないでしょうか?
「泣けるだけ泣き尽くしたら、ゆっくりと歩き出してください!」ってことで・・・
浜松まつりをはじめ各地の行事が自粛になっちゃって、泣いている人もいるけれど、
今は一緒に泣いて、来年一緒に笑いあえればいいと思います。